北海道命名之地
「北海道」の名付け親は、幕末の探検家 松浦武四郎 その基となる「北加伊道」は、音威子府村で発送されました
安政4年(1857年)、幕末の探検家・松浦武四郎は天塩から石狩川上流への道路開さく調査をした際、これを「天塩日誌」に記録しています。この記録の中では、当時の天塩川流域の状況が克明に報告され、過去の様子を知ることが出来る大変貴重な資料とされています。そして何よりも重要なのがこの調査の帰路、音威子府村筬島(おさしま)地区の鬼刺辺(おにさしべ)川付近で野営した時、アイヌ民族の集落(コタン)に立ち寄り、アエトモという古老(エカシ)に「カイナー」と言う言葉の意味を尋ねたところ、「カイ」は「この国に生まれたもの」で、「ナー」は敬語ということを教えてもらったというような記録が残されていることです。
明治2年(1869年)の「蝦夷地」(のちの北海道)改称に先立ち、開拓判官であった武四郎は、「道名の義につき意見書」を明治政府に提出、日本の「北」にある「カイ」、それに旧領土を指す「道」をつけ『北加伊道』という案を発想し、これを含めた六道名案を由来とともにを提案をしました。そして、この『北加伊道』を基にし、現在の『北海道』の名称が誕生したと言われています。
現在、この松浦武四郎の『天塩日誌』に残された記録などから、筬島地区天塩川流域の地に『北海道命名の地』碑を建立しました。
2011年7月には、それまで建立されていた碑を再建立し、北海道知事高橋はるみ知事が揮毫(きごう)した新たな碑(全長5メートル、地元産トドマツ使用)が建ち、『北海道命名』にまつわる歴史を物語る地として多くの方々が訪れています。
北海道命名之地碑の位置図、距離
位置
音威子府市街から国道407号線を約7km北上し、国道左カーブ手前から右折します。未舗装道路を数百メートル進んだ先に車両を駐車できる広場がありますので、車両を止めそこから徒歩で数十メートル歩いて現地まで行くことができます。
(注1)国道沿いに案内看板があります、右折時の見通しが良くないので十分にお気をつけください
(注2)現地の手前、数十メートルからは車両の通行が出来ません。
(車両で進入しますと、川原付近で車が立ち往生する恐れがあります。)
主な距離(参考)
○音威子府市街から・・・約8km
○音威子府村内、JR宗谷本線筬島駅から・・・約1km
(注) 筬島地区から徒歩にて現地へ行く際には、途中歩道が設置されていない箇所があります。また現在、工事車両の通行量が増えていますので、通行車両には十分ご注意ください。
その他
北海道命名の地碑周辺は、森林や天塩川などの自然豊かな環境に囲まれているため、さまざまな動物(ヒグマ等)の目撃情報がよせられています。見学の際は十分注意するとともに、ゴミの持ち帰り等にもご協力をお願いします。
■■■お問い合わせ■■■
経済課産業振興室 商工観光労働係
音威子府は 上川エリアにあり、木工芸、山菜資源の活用等、地場産業の育成に取り組む
「北海道で一番小さな村」です。
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